小沢裁判、罪の内容からは余りにも代償が大きすぎる 即終結を
No.494 小沢裁判、罪の内容からは余りにも代償が大きすぎる
国とマスコミによる一政治家のなぶり殺しとその実況中継 醜悪きわまる
小沢元民主党代表の裁判が始まった。異様な過程を経た裁判だ。今となっては一体何の罪で彼が裁かれようとしているのか、それすら霞んでしまった感じだ。
罪状は選挙資金規制法違反というものだったか。秘書が現金のやりとりを帳簿への記入をきちんとしたかしなかったか、それに小沢本人が関与していたのかどうか、その裁判?
この裁判、仮に有罪だとしても、問われている罪状に較べて被告がこれまでに受けてきた社会的な制裁は余りにも大きく、著しくバランスを欠いているもののように思えてならない。その意味からも裁判を即打ち切りにするべき事件である。
この事件に関係する秘書3人の第一審の判決が出されたが、余りにもひどい内容に国民の多くが唖然とした。検察の当初のねらいは小沢氏を収賄で挙げることだったらしい。だが、それを証拠立てるものはなかった。そこを裁判官が、贈収賄があったに違いない、だから政治資金規正法違反を最大限に適用して罰すると言っているようなものだった。証拠がないなら裁判官の推量で補う、そんなことが認められるなら、裁判の仕組みは根底から覆る。裁判所が憲法をも崩す暴挙、証拠主義を破棄し、被告人の人権も完全に否定したのだ。被告の一人は国会議員。有権者に選ばれて国会に送られた人だ。その議員の活動を縛り、場合によれば議員を辞職させなければならないほどの事案なのか、そこから疑問がある事件に、裁判官は小説でも書くように、想像を膨らませて有罪の判決を出した。しかも重い刑だ。なぜ裁判官がそんな判決を書いたのか、それについてはいろんなことが言われているが、それを繰り返すことは止めよう。
この事件、発端から裁判まで、何から何まで異様なプロセスをたどった。秘書の一人は訴因変更で裁判が維持された。元秘書で現職の国会議員は、当選初の国会の前日に逮捕され拘留された。小沢氏本人は検察が不起訴としたが、検察審査会が2度にわたり起訴を求めた。秘書グループの取り調べに当たった検事の一人は、他の事件の証拠改ざんを行って裁かれる身に変るということまでついた事件だ。
この小沢事件、検察にとっては日本の憲法を踏み破ってでも、小沢という人物を政界から抹消しなければならなかったものらしい。小沢という希なやり手の政治家は誰のために葬むられなければならなかったのか?誰にとって巨悪だったのか?はっきりしているのは断じて国民にとってではないということ。そのあたりの国民への説明が必要なのではないか?自民党は小沢氏の証人喚問と騒いでいるが、説明が必要なのは権力側のように見える。もちろん説明できる話ではなかろうが。
秘書グループには罪ありきの裁判が行われた。その伝で、小沢氏本人にも証拠とは無関係に有罪が決められているのだろうか。恐ろしいことである。
とにかく、起訴内容からは問われても形式犯の範疇だろう。凶悪なんて言える内容ではない。凶悪なのは裁く方とそれを国民に伝える方だ。一連のプロセスは国家とマスコミによる一政治家の無法ななぶり殺しとその実況中継にほかならない。醜悪で正視に耐えない。終わりにすべきだ。この裁判から国民は何が得られるのだ。
それにしても、国会は何をしているのか。政治資金規正法を見直すでもなく、検察審査会のあり方にメスを入れることもない。検察のあり方については、検察自身が改革案を出したが、国会は動こうとしていない。そんな中で、今度は裁判所の歪みが露呈した。判検交流を止めさせるべきだとの声もあるが、これをどう考えるか?小沢喚問など本末転倒の話である。(2011-10-13)
国とマスコミによる一政治家のなぶり殺しとその実況中継 醜悪きわまる
小沢元民主党代表の裁判が始まった。異様な過程を経た裁判だ。今となっては一体何の罪で彼が裁かれようとしているのか、それすら霞んでしまった感じだ。
罪状は選挙資金規制法違反というものだったか。秘書が現金のやりとりを帳簿への記入をきちんとしたかしなかったか、それに小沢本人が関与していたのかどうか、その裁判?
この裁判、仮に有罪だとしても、問われている罪状に較べて被告がこれまでに受けてきた社会的な制裁は余りにも大きく、著しくバランスを欠いているもののように思えてならない。その意味からも裁判を即打ち切りにするべき事件である。
この事件に関係する秘書3人の第一審の判決が出されたが、余りにもひどい内容に国民の多くが唖然とした。検察の当初のねらいは小沢氏を収賄で挙げることだったらしい。だが、それを証拠立てるものはなかった。そこを裁判官が、贈収賄があったに違いない、だから政治資金規正法違反を最大限に適用して罰すると言っているようなものだった。証拠がないなら裁判官の推量で補う、そんなことが認められるなら、裁判の仕組みは根底から覆る。裁判所が憲法をも崩す暴挙、証拠主義を破棄し、被告人の人権も完全に否定したのだ。被告の一人は国会議員。有権者に選ばれて国会に送られた人だ。その議員の活動を縛り、場合によれば議員を辞職させなければならないほどの事案なのか、そこから疑問がある事件に、裁判官は小説でも書くように、想像を膨らませて有罪の判決を出した。しかも重い刑だ。なぜ裁判官がそんな判決を書いたのか、それについてはいろんなことが言われているが、それを繰り返すことは止めよう。
この事件、発端から裁判まで、何から何まで異様なプロセスをたどった。秘書の一人は訴因変更で裁判が維持された。元秘書で現職の国会議員は、当選初の国会の前日に逮捕され拘留された。小沢氏本人は検察が不起訴としたが、検察審査会が2度にわたり起訴を求めた。秘書グループの取り調べに当たった検事の一人は、他の事件の証拠改ざんを行って裁かれる身に変るということまでついた事件だ。
この小沢事件、検察にとっては日本の憲法を踏み破ってでも、小沢という人物を政界から抹消しなければならなかったものらしい。小沢という希なやり手の政治家は誰のために葬むられなければならなかったのか?誰にとって巨悪だったのか?はっきりしているのは断じて国民にとってではないということ。そのあたりの国民への説明が必要なのではないか?自民党は小沢氏の証人喚問と騒いでいるが、説明が必要なのは権力側のように見える。もちろん説明できる話ではなかろうが。
秘書グループには罪ありきの裁判が行われた。その伝で、小沢氏本人にも証拠とは無関係に有罪が決められているのだろうか。恐ろしいことである。
とにかく、起訴内容からは問われても形式犯の範疇だろう。凶悪なんて言える内容ではない。凶悪なのは裁く方とそれを国民に伝える方だ。一連のプロセスは国家とマスコミによる一政治家の無法ななぶり殺しとその実況中継にほかならない。醜悪で正視に耐えない。終わりにすべきだ。この裁判から国民は何が得られるのだ。
それにしても、国会は何をしているのか。政治資金規正法を見直すでもなく、検察審査会のあり方にメスを入れることもない。検察のあり方については、検察自身が改革案を出したが、国会は動こうとしていない。そんな中で、今度は裁判所の歪みが露呈した。判検交流を止めさせるべきだとの声もあるが、これをどう考えるか?小沢喚問など本末転倒の話である。(2011-10-13)




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