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<<   作成日時 : 2011/10/17 17:05   >>

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No.495 ものを考えさせない日本のシステム  これでは危機に対応できない

 NHKは9/18,25にETV特集として“原発事故への道程”を放映した。その後編を見ていて、日本はものごとを担当者に深く考えさせないようシステムにしているんだな、と改めて思った。

 <以下、ETVにでてきた島村原子力研究会の1991年の会合での発言の中から>
 ―― 大きな方向というものがない、どこにも。電力会社は将来をどう思っておるのかその辺もはっきりしないし、日本のメーカーも言われれば作るというだけで、何とかいいものを作るということに間違いないけれど、どういう風にしてこういう方向に進むべきだという意見が日本のメーカーからは出てこないね。
 政府もまた原子力委員会が基本計画を立てることになっているけどもね、従来決まっている奴にその後の情勢の変化を少し加味するくらいの程度でね、抜本的なことを考える事態にないでしょう、そういう状況じゃないですかな。
 ―― 昭和35年頃までに(米国で)それまでにそんなに大したことをやっていると思えないんです。それでできた技術でそのままになっている部分が結構あって、最初設計してそれでうまくいっているからということで基本が解明されていない部分が残っているんじゃないですかね。役に立つか分かりませんけどね。そういうものをもう一回見直してそこから研究テーマを探すようなことをしないと。  中略   ただ問題は、そんなことを言い出すと、今さらそんなことが分かっていなくて何をしているんだと叱られるのが怖いから、誰も言い出せないというのが残っているんじゃないですかね。
<引用終わり> 

 会社に勤めていた頃、会社は技術部門を追いまくるように使っていたが、あれでは彼らは新しいアイデアなど考えることもできないではないかと、ずっと思いつつ見ていた。だが、会社にしてみたら、彼らのアイデアなど、どうせ大したことはない、彼らは雑巾と変らないから搾るだけ搾る、そう思っていたのかもしれない。現場にパソコンが入り、キャドが入り、グローバリズムでスピードと競争が強調されてその傾向はますますひどくなったように思う。

 筆者は会社を終えて、地元の中学校へ2年間応援に通った。教師達はめったやたらと忙しくしていた。彼らを忙しくさせる元凶と言えるものは事務と部活だった。毎日放課後の部活に加えて休日も部活が入っていて、彼らはほとんど休みも取れない状況だった。事務的なことも非常に些細なことに管理職の目が光っていた。その一方で教師間のコミュニケーションはあまりなかった。これでは授業の創意工夫などほとんどできるはずもなかった。たぶん国の考え方として、教師からゆとり、あるいは考える時間を奪うことがあったのだと思った。教師にゆとりを与えると、組合活動をするといった偏見にとらわれて、教師をあえて縛り上げているように見えた。そもそもの話、日本の文教政策は、教師のばらつきをいかに抑えるかに並ならぬ力を注いでいて、その中には教師の個性をいかにそぎ取るかというものがあるように見えた。教師の創意工夫などは当てにならないもの、有害なものという見方もあるのかもしれなかった。教師の些細な逸脱にもチェックがあって、教師は息もつけない状況だった。

 ものを考えさせない教育、それは生徒達に対しても同じだ。子供達には考えさせることより詰め込むことが優先されているのは明らかだ。ゆとり教育は、全児童生徒の学力の底上げを図ると同時に、生徒にものを考えさせ、生徒の自主性を養育しようとしたもの思われたが、成果が出ないうちに学力低下を口実に立ち枯れさせられた。そして詰め込みに戻った。

 ゆとり教育が追いつめられたのは、労働者を雑巾に喩えて、乾いてもなお搾り足りないと言う産業界の風潮のなかで、児童生徒の“ゆとり”が許せないものだったからだ。企業では社員を階層分けして、基幹社員、専門社員、・・・・などと分けて、基幹社員以外は使い潰す姿勢を明らかにしていた時代だった。ものを考えるのは幹部だけでいい、それ以外の社員は与えられた職務に黙って専念しろ、余分なことを考えるな、と露骨に言われる時代になった。学校教育も一握りの秀才を育てることに力が置かれ、残りの生徒は秀才を支える存在に変ったようなところがある。私立に顕著な傾向だ。ゆとり教育を否定して元に戻った詰め込み教育は、それについていくことができる一部の生徒の才を伸ばす反面、多くの生徒の切り捨てだと言うことが気づかれていない。時代は考える生徒、考える社員などは基本的に要らない、邪魔だと見ていた。要するに命令にただ忠実に動く人物が欲しかったのだ。

 Eテレの話に戻ろう。企業のエンジニアは与えられた課題の達成、ここではもの(システム)を作ることを会社から求められていただけだ。それ以上のことをすれば、出た杭として打たれたから、新しいものや考えが出てこない風土ができあがった。職場では自由な議論がなく、特にタブーなのがNOという答えだ。それは問答無用で無能か命令不服従ととられ、人事的に不利な扱いの対象だった。 原発の大事故に関しては、電力会社はもちろん、電力産業、国、学会、マスメディアなどの関係者にムラを作らせるほどに、同質的な人材ばかりを揃えたことが事故の遠因にもなったことが、この対話からも分かる。
 
 こういう日本の人材育成は危機と時代の変化に弱い。時代が大きくうねるときに対応できないように見える。困ったことに、政治家も産業界のリーダーも、ただ反射的で、ものを考えているようには見えない。(2011-10-17)





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