封じられる発言  封殺の体制が完璧なまでに張り巡らされて

No.461 封じられる発言  封殺の体制が完璧なまでに張り巡らされて 

 今回の原発事故は、日本のいろんな建前と現実の差をあぶり出している。その一つが言論と表現の自由だ。言論表現の自由は憲法で保障された国民の権利だったはずだが、実際はいろんなタブーが作られ、自由は建前のものになっている。

 最近、ちょっとした事でものが言えない雰囲気が簡単に作られる事をよく感じる。もう今では古い話になったが、アメリカのイラク攻撃を支持、自衛隊派遣ではNOが言えない雰囲気がみなぎった。その続きでイラクで高遠さんら3人が拘束された時、イラクに入った彼らが悪い、という世論が急速に盛り上がり、国として彼らを救うべし、という声は上げにくかった。国賊高橋のイメージを打ち消したのは皮肉にもアメリカのパウエルであった。

 その後も郵政改革、北朝鮮制裁、原発拡大路線などには異論を挟む事は許さないという空気は強まる一方だった。昨今なら、政府と東電が行っている福島原発の消尽作戦とも言える人命を軽視した“復旧”工事をおかしいとは声を上げにくい雰囲気だ。また、放射能に取り囲まれている福島の人々は政府が決めた児童の被曝安全基準20mSvは不当、と声を上げる事が現地ではできない雰囲気だという。

 また福島原発の事故が起きて早速、斉藤和義が「ずっとウソだった」と反原発ソングを歌って話題になったが、彼の所属のレコード会社はこの歌が広がらないよう、NETの監視をしていたという。もちろんTVなどから流れることはない。

 俳優の山本太郎が原発反対のキャンペーンをしたということで、予定されていたテレビドラマへの出演を断られ、所属事務所を辞めるという事件もあった。

 一言でいうなら“国策”に物言うのはダメという雰囲気が簡単に作れる社会がいつの間にかできあがっていた。国の政策には国民にものを言わせない、反対する者は村八分の空気の醸成だ。こういう雰囲気は国が作り、増幅させるのは主にマスコミだろう。その陰には心理学を駆使した演出集団あるいは専門企業の存在も指摘されている

 ものを言う人へは、まず主張の冷笑・無視、次は孤立化、恫喝、排除とステップがある。組織にいる人なら、人事差別もあれば、累を子どもや親族へ及ぼすこともあるようだ。居住地域への事実無根の噂の流布もありそうだ。

 荒っぽいやり方では街宣車の動員もある。もうこれはテロルである。

 弾圧の究極は国による権力の発動だ。微罪逮捕、罪のでっち上げなど、いわゆる国策捜査という奴。なすられる犯罪は汚職、政治資金規正法違反、性犯罪と国民が嫌悪感を持つものだ。この30年、国策捜査の件数が増えてきた感じを禁じ得ない。政治的失脚を狙って不倫の暴露が何度かあったが、これは効力が薄れて蔵入りになったらしい。その代わり、狙われたのが政治家なら、その人の政治資金収支報告書はその裏の裏まで詳細に調べられることになった。そういう調査の背景には大きな組織が動いていることがほの見える。何かでその筋に睨まれると、常に尾行され、監視され、写真が撮られ、資料が集められている不気味な社会である。

 日本は検察と裁判が一体になっているから、起訴=ほぼ100%有罪とのこと。裁判所は起訴内容が疑わしくても、形だけでも有罪を崩さない。汚職容疑で知事の座を追われた元福島県知事の佐藤栄佐久氏のケースでは、高裁は犯罪事実を認めなかったが有罪を維持した。そもそもの逮捕の隠された動機は、福島原発におけるプルサーマルの不認可だと言われている。

 国策への反対者狩りは、言論だけではなく経済活動にも及んでいる。対象も学者、政治家、事業者と広い。

 何が国策なのか分からないが、既成の体制に挑んだが故に訴追されたと見られるケースもある。新しい事業を興してそれを急成長させた人の中には、微罪で逮捕され刑を受けた人が何人もいる。それらは既存のエスタブリシュメントへの挑戦は許さないと読めることが多い。この場合は、逮捕が法の拡大解釈ではないかと思わされる上に、刑が類似事件に比べてきわめて重い特徴がある。

 もっと庶民レベルでは、住宅へのビラ入れで検挙、デモで検挙なども日常のことだ。デモになると規模が小さなものなら、動員される警察の数の方が多い事も多い。加えてデモには警察側からの挑発がつきものである。

 学校の授業への監視も周到だ。授業での教師のちっとした政治的?な発言や不適切な発言は親などから直ちに市や県の教育委員会に通報される。メディアも大きく取り上げることが多い。処分の仕組みもできている。

 原発反対論を何かに発表すると、電気事業連合会の関係組織から微に細に入ったミス?の指摘があることが多いという。

 これらの中で、裁判で争われるケースもあるが、裁判所が自由を制約されたとする原告の訴えを認めることは例外的である。

 何かの悪行を指摘された企業や団体が告発者や出版社を相手に名誉毀損の高額な損害賠償訴訟を起こす事も相次いでいて、裁判所も高額な賠償を認める方向のようだ。

 一方で弁護士が政治家になっても、その多くは表現の自由にも、基本的人権の尊重にも関心がないだけでなく、自由や人権を狭める方に動くようにも見える。現在、大阪府議会には、君が代を斉唱しなかった教師への処罰条例案が上程中だ。そんな条例を突如として持ち出したのは弁護士知事である。

 また政治や権力の報道機関への直接的な介入もあるようだ。番組や報道への介入・クレームも常態化している印象さえある。新聞社への脱税捜査も記憶に残っている。報道側には介入を避けようとする自主規制や権力と日常的な融和を図る動きが著しいように感じさせられる事が多い。

 国民に物言わさぬ体制はがっちりと作られている。そしてその実態がちらちらと見せつけられると、国民は沈黙してしまう。それらの破局としての福島原発の大事故ではなかったのか。(2011-6-2)

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック