日本人が英語が話せないわけ  敬語の呪縛

No.269 日本人が英語が話せないわけ  敬語の呪縛

 英語が話せないような教育をしていてはダメだ、と言う声を受けて、中学校から大学まで英語の授業に会話能力の訓練が大きく取り入れられている。会話重視の英語教育には異論も多いようだが、その声はかき消されがちだ。

 鳥飼玖美子氏が、朝日新聞とのインタービューに“私は日本人が英語下手なのは、日本人の言語間や文化から来ているものだと考えています。”と答えている。さらに、“もし、どんどん英語で話すような子供に育てたいのなら、アメリカ型のコミュニケーションが世界標準でいいというのなら、親としては生意気な子供になることを覚悟しなければならないですよ。”と続く(08-5-26 グローバル化の正体)。

 塾での中高生対象にした英検の訓練を見ていて、二次のオーラルで引っかかる生徒にはある傾向があることに気がついていた。ペーパーテストもリスニングもよくできる。だがしゃべる段階で引っかかる生徒には共通の特徴がある。それは“控えめ”、自分を押し出さない、一歩下がる、相手と自分の関係を測りかねているとか、いうパターンだ。伝統的な日本の文化からは、ゆかしいとされるタイプである。性格と言うより、これまでの生活の中で身につけた態度である。こういう生徒は英語でも日本的な言い回しを考えようとして、そこで黙るとか、会話のリズムに乗らないとか、誤った表現をするらしい。

 日本語を複雑にしているのは敬語である。日本人は文化として常に相手と自分の立場を比べながら言葉を選んでいる。そこを誤ると、生意気だ、失礼だ、慇懃無礼だ、礼儀知らず、無教養などの非難を浴びせられる。だが、若いタレントやボクサーなどの記者会見などでは、敬語がすっかり消えているケースがあるようになった。彼らの話し方を聞いていると、正直なところ、違和感もあり、かなり聞きづらい思いもある。

 だが、日本人が英語がしゃべれない一つの背景はこの敬語にあるし、“出過ぎない”と言う文化にある。こんなことを考えていたら、鳥飼氏の記事に会った。英語にも中国語にも敬語はない。

 保守的な政治家には日本の“文化”を守ることにことさらこだわる人々がいる。彼らは伝統の教育や道徳教育の強化を主張するが、彼らの思想の根底は身分関係の明確化であり、国を家族制度のアナロジーのもとにまとめようとするもののようである。そこには当然、敬語使用の厳格化が求められよう。この方向が進めば、英語が話せる人材は育ちにくくなろう。

 だが、一方で彼らは話すことができる英語教育を重視する。中学国語にはディベートが取り入れられているが、これも話せる英語教育の別のアプローチである。

 これらのことからだけでも、日本の教育は引き裂き状態にあることが分かるが、それは別にしても、これからの若い人には、どこの国の人々とも日本語でも英語でも自由にかつ正確にコミュニケーションをとるだけの力が要求されていることを痛感する。

 その力を養っていくためには、日本の身分とそれにまつわる敬語の文化は障害になると言ってもいい。今の日本でバイリンガルを身につけさせようとすると、自分の中に敬語の文化をもった自分と、上下関係の意識がほとんどない文化を持った自分の二つ持っていて、それを場によって切り替える訓練をするということになるのだろう。こんなことは、文章だから書けることで、実際には非常に難しい。もちろん器用にそれをできる人も少くないのも事実である。

 文化は時代によって変わっていく。これをある時代に引き戻したり、固定しようという努力は社会的な葛藤を生んでくる。その上、グローバル化の流れとは相容れない。国際的な人材を作り出していこうとするのなら、日本独特の敬語のあり方を薄めていく必要があるように思われる。

 それと、思い違いから始まったとしか思えない会話重視の語学教育は、文章や文化の理解力、きちんとした表現力などをそぐ弊害が多いことを認識すべきだろう。日常の会話なら、現地に一月も送り込んでおけば、大方の人ができるようになる。それを超える話は、本当の教養や知識の裏打ちがあってできることである。

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この記事へのコメント

単刀直入と慇懃無礼 森田博士
2017年12月19日 09:35
六十の手習いではありませんが現役生活引退後に趣味で俳句を始めました。自分がいかに語彙が少ないか思い知らされました。名句を研究するのも良いがまずは自分の語彙を増やし正しい日本語を身に着けたい。そう思って初心に返って日本語研究生一年生の気分で日々勉強中であります。慇懃無礼という四字熟語も恥ずかしながら所見でした。慇懃無礼という概念は欧米人にもあるのだろうかそう疑問に思いこちらに辿り着いた次第です。日本の年配者を目上の人間を敬う文化は良いところもあるがこれからの時代は慇懃無礼よりも単刀直入が必要なのでしょう。森田博士

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