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<<   作成日時 : 2009/08/24 10:24   >>

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No.368 きれいなノートあれこれ ノートと成績は循環するが

 小さな塾で子供達に接しているといろんなことを考えさせられ教えられる。最近出版された本で“東大生のノートはなぜきれいか”というのがある。内容は見ていないが、きっときれいに違いないと思う。

 逆なことから書こう。数学で書き殴るような形で計算をする生徒がいるが、彼らにはまずそれを改めろ、と指導することにしている。それを受容れることができる生徒と、できない生徒、そこで最初の勝負はついてしまう。

 数学などは考え方の整理の勉強だ。そこには当然訓練が伴う。式を立て、説明を加えながら計算の過程を書いていくことが大事である。数学は文章の別形式であり、文章の中に数式を埋め込んでいく作業でもある。答案なら、自分を納得させると同時に、見てもらう人への気づかいも要求される。相手に分かってもらう力も試されていると言うこと。それらの訓練といってもいい。

 乱雑なことや手抜きをやれば間違いが入りやすい。高校の数学にもなると、結構デリケートな問題が増えるので、乱雑さは命取りである。不幸なことに、計算の間違いが増えると、生徒は確実に数学から関心をなくしてしまう。その意味からもきちんと書かせることで、ミスを減らすことは大事である。

 だが、気がついたのは、成績が上がっていけば、ノートも自然ときれいに書けるようにもなるということ。そこには循環の関係があることである。好循環のループに生徒どう乗せるかが、教育者の務めということになるが、それは言うほどに簡単ではない。生徒の発達を待たなければならないことが多い。生徒に応じた教育とは、個々の生徒の発達や向上を待ちながら、生徒の状態にタイミングを外さず指導したいことを乗せることでもあろう。

 なぐり書きのような計算には、しばしば理解できないことのごまかしが含まれていることがある。これは過剰適応状態だろう。生徒はしばしば、書いたり計算するのが面倒くさいと言う。それも訓練への抵抗と、一方でその生徒の限界を語っているのかとも思う。キャパシティに余裕があれば、面倒だとは思わないのも事実。指導も受容れやすいだろう。採点者や指導者への思いやりとかサービスも余裕から出てくる。

 きれいなノートを書けるか、書けないかは本人の努力や性格も関係してくる。努力、性格、キャパシティ、整理する力、洞察力、推理力、それらが合わさって当人の学力だろう。まとめて言えることは、できる生徒のノートはきれい、見やすいことになる。‘東大生のノートがきれい’は当然だろう。

 余分なことを書くと、きれいなノートを作れば東大生になれるか、これはその限りにあらずだ。そこは言うまでもない。大事なことは、きれいなノートを作ることで、自分の力を目いっぱい発揮できるようになる、これは確かということだ。

 美しいノートは必要であるが、余り押しつけることもよくなさそう。同じ意味で、気づいたことがある。生徒に数学はやれば楽しいものだと言っても怪訝な顔をされることが多い。生徒は楽しいところまでに行き着かないのだろうと思うと、酷で独りよがりなことを言ったと反省する。いい循環にもっていくことが何より重要である。

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