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<<   作成日時 : 2008/08/28 08:52   >>

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No.292 小泉改革で失われたものの大きさ、元に戻せるか?

 福田内閣の改造人事が終わって、小泉路線からの決別の色合いが濃いといわれる。一方で、メディアには“改革の旗を降ろすな”と主張するところもある。曰く、小さな政府にすべきだ、公務員改革が終わっていない、規制緩和を戻すな、財政再建が急務・・・・。

 小泉政権は戦後最悪の政権だったと思う。彼は改革をとなえて、人気を博した。その人気に乗ってか、彼がしたことで評価できることはない。外交から暮らしまで、すべて後世に禍根を残すことばかりだったとの印象が強い。アメリカに脅されるままに行った自衛隊の海外派遣、日米構造協議の中でのアメリカの最大要求を呑んだ郵政改革、法が成立して2年後の実施段階で実態が暴露された後期高齢者医療問題。規制緩和のかけ声で実質的に野放しにされた労働者保護、福祉の後退、時間が経ってそれらの矛盾が一斉に表面化してきた。市場原理が浸透した医療現場は崩壊が止まらない。彼が憲法の精神まで踏みつけて通した郵政民営化も、早速地方郵便局の整理が始まっている。もっとも、これらのことの多くは自民党政権がずっと願っていたことででもあり、自民党支配の末期での駆け込み総仕上げの面もあった。

 彼が進めたことで、今は余り話題なっていないが時限爆弾のようなものを2つを取り上げよう。その一つは国立大学の法人化である。もう一つは、言論の自由に関するものだ。

 国立大学で、やがて表面化するのは経営問題だが、経営以前に学問の世界が成り立たなくなっているように見える。法人化、つまり各大学は自前で金を稼げ、ということにしたが、金になる学問、と言われると、そんなに多くあるわけではない。学問の成果を企業に売るか、自分のところで会社を興しそこで事業を始めるかどちらかしかない。中間的な形としては、企業とジョイントベンチャーを興すことがあろう。

 研究所の成果を企業化して成功したと言う例が過去にないわけでもない。理化学研究所だ。ここでは利益なりそうな研究成果ごとに企業を作り、そこから世界のトップ企業に成長した会社もいくつかある。ただ、時代の背景が違う。今は企業が独自に大きな研究組織を持ち、実用に近いレベルの開発研究はもっぱら彼らの仕事だ。国や大学が研究組織で、ただちに企業化に繋がるような成果を次々に生むことができるところは、ほとんどない。人文系に至ってはビジネスをあえて作ると、学問の無理な援用などに繋がりやすい。

 東大の総長はアカデミックという言葉を避け、社会とともにある大学、などと学生と職員に意識改革を促している。東大でさえこうである。大学はなべて、象牙の塔を出る試み、あるいは実学指向が続く。そういう空気の中で職員は、金づるを求めて奔走しているらしい。工学系などは、研究にひもが付きやすい。企業が人や情報と引き替えに、冠講座を提供したり、特定教授のスポンサーを引き受けるからだ。人というのは、学生だけではない、有能な研究者も含む。産学協同などといわれるが、大企業による大学支配あるいは蚕食が制度的に作られたのが実態である。

 今、大学や研究所で深刻な問題としてささやかれていることは、基礎研究ができなくなったことだという。評価されるのが金に近い研究なら、基礎的な研究などやっておれない。実用性はもちろん成果もはっきりし見通せないが、幅広い基礎的な研究が様々な成果を生んできた。だが、この曖昧な回路は閉鎖を命じられつつある。一方で大きな問題になりそうなことは地方大学の切り捨てだ。地方大学が独自どこまで稼げるかは、地方の力を映す。大企業の研究開発が中央の大学直結だとすると、地方大学は地元の企業をほとんど当てにできないから、地方の行政府の支援が頼りだ。こっちは官学協同だ。が、そこには限界がある。

 大学人は、中央では企業と中央省庁の顔色を見ながら、地方では官の援軍として動くことが期待されている。従来何となく期待されていた、官や企業と生活者の間に立ったニュートラルな存在、もめ事などでは行司役などの期待はもはやできない。彼らの言動の多くは、もはやスポンサー側の色がついているとみてよい。

 学者の研究と発言・発表の自由に自動的に制約がかかるように仕組みになり、基礎研究や人文研究は排斥されつつある。また地方大学は、研究機関としての機能を失いかけている。広い裾野の上に立っている学問の世界で、地方大が衰退して中央の大大学だけが屹立することなどあり得ない。つまり国の基礎研究力、あるいは大学の総合力が衰退に直面しているということである。

 もう一つは情報の問題だ。もうこれは時限爆弾ではなく、テロが行われたに等しい。小泉政権下では情報の規制が確実に進んだ。法的にも進んだが運用的にはもっと進んだ印象がある。メディアは規制と度重なるブラフを受けて、すっかり萎縮した。さらに小泉政権のもとでは、国策捜査と言われる“捜査”がしばしば行われた。政策に影響を与えそうな個人や組織の活動や言動に対しては、司法権力を使って積極的に罪に落としていくと言う手法である。国家権力による弾圧であると同時に、三権の独立が空洞化されたのである。中には論敵を罠に落としたのではないかと疑われるものもあった。政府が進める銀行再編に反対を主張していた学者は、電車の中で猥褻行為をしたと、二度も検挙され、大学から追われた。また、総理総裁に反対する議員には選挙で刺客を立て、その政治生命を奪うという手法をとったことから、国会議員もトップの方針に異論を言わなくなった。自由な議論を封じたのである。また、イラクで政府の意向に反することをした民間ボランティアには、誰が煽ったのか組織的と思われる非常に大きな圧力がかけられた。彼は言論封殺の名人であった。

 小泉改革にはレトリックが多すぎた。例えば、しばしば唱えられた“小さな政府”、これについては日本の政府は果たして大きいのか、そこから議論されるべき話であるが、その検証もできていないままに小さな政府がいいというムードが作られている。小さな政府作りのために、公務員に表面的なバッシングが繰り返された。道路財源での公務員の無駄使いの指摘などは一種の煙幕だ。目くらましの中で、巨悪が隠され、政治策略は裏で着々と進められた。メディアは彼のレトリックを鵜呑みにし、小悪叩きに血道を上げる中で政府の宣伝機関に落とし込まれた。不幸なことに、己の立ち位置にまだ気づかないメディアも多そうである。

 小泉の改革路線の徹底した検証と、大胆な見直しが必要である。それをやるのは福田政権ではなく、我々国民である。

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